普化尺八について

禅宗のひとつである普化宗は、中国・唐代(9世紀頃)に臨済宗とも関わりが深かった禅僧であった普化(ふけ)を始祖としています。 日本には13世紀頃に伝わったとされております。
その後、江戸時代までには普化宗尺八とその哲学は広く世の中に浸透しました。 これは、普化宗の僧侶たちが虚無僧として各地を旅しながら普化宗を広めていった事によると思われます。虚無僧は、座禅(座位の禅または瞑想の座位)を実践する代わりに尺八を吹くことによってお経をあげます。 そのため、虚無僧が吹禅に使う尺八は単なる楽器ではなく、瞑想に捧げられた宗教的な道具(法器)とみなされていました。
江戸時代後半には、虚無僧の集団は教義や信仰を広める特殊な宗派として、尺八を禅の修行や托鉢のためにも吹奏するようになっていきました。 江戸幕府はその功績を認め、1614年(慶長19年)に普化宗に「慶長之掟書」を与えます。虚無僧は、入宗の資格や服装なども決められるなど組織化されていき、諸国通行の自由など種々の特権を持つようになりました。このように江戸幕府との繋がりや身分制が色濃く残っていったためか、明治になると政府により解体(1871年)され、宗派としては機能しなくなっていきました。 しかし、その後も尺八を伝える流れは残り、1950年、宗教法人として普化正宗明暗寺が再興され、現在に至っております。


本項は、以下ウェブサイトから一部引用、参考にしております。
ウィキペディア- 尺八

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FUKE SHAKUHACHI - 普化宗尺八

明暗導主会